見事な巣立ち
里親になって43 年、グループホーム(現在はファミリーホーム)になってから27 年。この間、延べ40 人くらいの子どもたちと関わってきました。ふと気付いたら古参の里親になっていました。
じゅんちゃんの物語り
子どもたちは皆がみな個性的(わがままで自分勝手とも言う)で思いっきり羽田野を振り回してくれました。
とりわけ印象に残っているのはじゅんちゃんです。一歳7ヶ月で来てくれたじゅんちゃんはとっても個性的でしかも超が付くほど集中力があるんです。文字の読み書きは得意ではないけど、耳から入る情報は克明に記憶します。
小学校1年生の時には、授業で指されて音読をしているのに教科書を逆さまに持っていて級友たちに「じゅんちゃん本が逆!」と言われ、からかわれたと思ったじゅんちゃんは教室を飛び出してどこかに隠れてしまったんです。
学校から呼び出された羽田野は、先生と一緒に学校中を探しまわりました。
お料理に目ざめる
そして小学校5年生の時にお料理に目覚めました。きっかけはウチにいた女子4名とバレンタインのチョコを作ったこと(その年から毎年のチョコ作りはじゅんちゃんになったんです)。
チョコの好評に気をよくしたじゅんちゃんは持ち前の集中力でレパートリーを広げまくりました。
カタクリの根から三日三晩かけて作るくず餅(近所の和菓子屋さんに教えてもらったらしい)、お彼岸やお盆お月見のダンゴ(みたらしも作る)、だし巻き卵は玄人はだし、チャーハン、けんちんお手のもの。
フキノトウ、柿の若芽は天ぷら、フキや柿の木は庭に植えて地産地消、里親仲間が持ってきてくれた柿は干し柿に、サツマイモを買うと乾燥芋になってるし、果ては切り干し大根まで作っちゃいました。
和風の料理が多いのは小さい頃に羽田野の父(故人)とよく遊んでいたんで言い方やしぐさに年寄くさいところがあるからかも。
お抹茶をたてるのも好きで、じゅんちゃんのお点前によくお呼ばれしました、正座して「先にお菓子を食べてください」「ハイいただきます」。
後片付け担当は羽田野が拝命しました。でも作ってくれたものはオイシイ、センスあるねえ。
今年の十五夜のダンゴは羽田野が久しぶりに自分で作りました。
びっくりしたのはサンマを三枚におろしていて左手の小指も捌(さば)いちゃった事、あの時は青くなりましたよ。
裁縫にも目ざめる
養護学校の高等部に進学してから始めたのが裁縫です。担任の家庭科の先生の影響らしい。ご近所の和裁の先生に教えてもらうことになりました。
骨董市で古い和服や帯を安く売ってもらって(その方面は結構顔が広いようです)新聞紙で作った型紙に合わせて切って、これも骨董市で買った足踏みミシンで縫い合わせるんです。
始めると納得するまでミシンを踏み続けるんで指に針を刺しちゃって真夜中に起こされたこともあったっけ。
和服も帯も大胆に裁断して柄を活かして作るトートバックやジャケットはイベントに持って行って、褒められると差し上げちゃう、でもそれきっと売れるよ!じゅんちゃん。
自立してたんです
高等部卒業後もウチに居てお料理を手伝ってくれたり、小さい子の面倒を見てくれたりしていたのですが、福祉関係から職場を世話してもらい収入ができたので、ウチから出て独立することに。
口上は「ボクはミシンで縫い物をするのが好き、でも後片付けができないから、まち針なんかで小さい子が痛くしたりするのは嫌なんだ、だから一人暮らしがしたい。」
福祉の人と市役所に行き三階建ての市営住宅に申し込んだ際に「ボクは若いから三階でも大丈夫。」ヘルパーさんをお願いするときは「ボクは片付けができないので、片付けてくれるヘルパーさんと、難しい書類は読めないから読んでくれるヘルパーさんをお願いします。」
他の人に援助を頼めるんだぁ、あれっこれって自立ですね!
もしかしてずっとウチにいてくれるのかなぁと思っていた羽田野は、鮮やかな背負い投げを食らった心地。
程なく職場の人に手伝ってもらってワゴン車に荷物を積み込むじゅんちゃんに「じゅんのお母さんは私だからネ、困ったらすぐ言ってきな」と言うのが精一杯、18 年間でこんなに育っていてくれたんだ。
見事な巣立ちを羽田野は見せてもらいました、お母さんこそお礼を言わなきゃ、ありがとう、じゅんちゃん。
生活が落ち着いたらダンゴでも持ってお茶飲みにきてくれるといいなぁ。 (東毛 羽田野孝栄)
