わがやの奮闘記エピソード002

フレーフレー さ・と・お・や!

「みぎ み~てぇ。みぎ(左)み~てぇ。くるま、な~い、くるま、な~い。」

車道を渡る子どもの声。朝5 時半起床。体操をし散歩で一日が始まる。通園している療育施設の方針だ。始めた当時は2 歩あるくと座り、また2 歩あるくと泣き叫ぶの繰り返し。通報されないか毎朝ヒヤヒヤした。今では散歩コース沿いの人達とすっかり仲良し。

手作り弁当は野菜中心で必ず朝作り、月1で山登りと保護者会 、読み聞かせ会に母コーラス。イベントは親参加に手作り必須。この生活がもう1 年。発達遅延はあるが通園して成果は 出た。頭を打ち付ける自傷行為がなくなり歩くようになった 。その2 年前から理学療法や市の発達支援クラスに通い、担当医は大きな病院に発達と持病で2 人、市の発達支援センター、最近では言語療法に作業療法、眼科も増えた。

率直に言う、大変だ。本当に大変だ。母は高齢でほぼワンオペ。でも卑屈になったことは無い。他の子と比べる必要も無い。各機関の交渉は苦労したが、母の意欲はこの子といるとくすぐられっぱなし。ちっとばっかし経験を積んだ母も予測出来ないことばかり。不思議だけどそこが楽しい。私には“ この子” なんだ。なんとまぁ、うちの子は自分の人生を謳歌するのに適任者を選んだもんだ。

障がい児は里親でも煙たがる。私も登録時は望んでいない。

もし自分が産んだ子なら? 産んで無いからわからない。きっと毎日「何がだめだった?」と自分を責めたろう。何がいいか そもそも子どもに甲乙つけるものか? 里親なのに 。

3 歳の少し前、話せないうちの子は玩具のピアノで何故か「ぞうさん」をよく選曲。ある日2 番まで歌ってみると涙が溢れ、子どもを抱きしめた。“ 母さんがすき”。どうしても伝えたかったのだろう。健常者とか実子とか関係ない。どんな子も 母とつく人を求めるのは同じじゃないか?愛情を注ぐことも 。

母には夢がある。それは「この子の結婚式で大泣きする」こと。うちを選び笑顔を向けてくれた。母はそれで十分。あとは本人が幸せになるまでだ。その日まで膝腰の痛みに耐えるとしよう。(Wの喜劇)

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