わがやの奮闘記エピソード004

彼の中の〝ママ〟を 大切にしながら

委託されたばかりの頃、彼は私を「先生」、夫を「おじちゃん」と呼んだ。先生と呼ぶ女性が多いところで過ごしてきたのだなと感じたことを覚えている。

2 週間ほどすると、「ママはママだけど、お母さんは友だちだから(ママとは呼ばない)これからは『お母さん』って呼ぶね」。そう言った彼は当時まだ3 歳だった。

私はこの時に、彼の中の〝ママ〟を大切にしようと心に決めた。

叱られたとき、都合が悪くなったとき、注目を集めたいとき、〝ママ〟は登場する。「あのね、ママはね……」と、いつだって彼にとってママは特別だ。幼稚園でだれかが「ママがお迎えに来たよ」と言うと、「ママじゃない、お母さんだよ」と強い口調で言い返した。外出先で「お母さん」と呼ぶと、大抵のお母さんが振り返り、小さな彼を見て「えらいね。お母さんって言えるの」と褒めてくれた。「うちの子なんて中学生になっても、まだママって呼ぶのよ。恥ずかしくて」と言われたこともあった。彼が私を「お母さん」と呼ぶ本当の理由を、わかるはずもない。

そんな彼も小学生になった。入学早々、先生に「てめぇ」と言って叱られた彼は、いま私を「相棒」と呼ぶ。最近は初めて会う人に「ねぇねぇ、おれ、だれのお腹からうまれたと思う?」と、自分の名を言うより先に尋ねるようになった。先日は、担任の先生から「今度、命の授業をしますが、よろしいでしょうか」と連絡をもらった。「大丈夫です。でも、それまでにもう一度話をしておきます」と私は応えた。

「ママの顔、忘れちゃった」。時々彼が言う。試しているのかも知れないと思うこともある。忘れたほうが楽なこともある、と夫は言う。

「ママに会いたい?」と私。「……会いたいけどさ」と口ごもる。「会って、またここに帰ってくればいいよ」そう言って、もう一度ママのことを教えてもらう。着ていた服の色、いい匂い、金色のネックレス、冷蔵庫のアイスクリーム。覚えていることはシルエットでも何でもいい。どうかママを忘れないで。ママが産んでくれたから、そしてママが託してくれたから、私たちは出会うことができた。

いつかママに会ったら言ってほしい、いつも動物病院の先生に言う時みたいに。「久しぶりだね」。「ママ」。(kinoko)

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